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住職のたあいない話

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自然(しぜん)と自然(じねん))

不精者の為、ブログの更新がなかなできない。前回の更新から3週間経ってしまった。

蝋燭を灯すことができなくなんとなく味気ない。大雨の被害を受けられている所は、お墓参りどころじゃない。

自分の生活、命を守ることで精一杯。

今年のお盆は長雨で傘をさしながらのお墓参り。この地区の風習であるお墓への灯籠もビニール被せて雨対策、

3〜5年前はニュースで40年〜50年の一度の豪雨災害と言われていたが、

毎年豪雨災害が発生し何十年に一度の豪雨災害とはニュースでも言われなくなった。

今日、私たちが「自然(しぜん)」という時、山川草木や雨風など人間を取り巻く外的な環境のことを指す。

その結果、地球の温暖化や海洋プラスチック汚染などの海や大気の問題を惹き起こした。

その自然環境を、自分たちが都合がよいように改造できるものと考え、

自分たちが便利に快適に暮らせるよう改造してきた。

どれも自分たちの我儘が原因である。

人間は自然を自分たちの都合が良いように支配・利用してきたが、自然は人間の我儘のためにあるのではない。

仏教では、「自然」を「じねん」と訓み、「自ら然る」という意味に解釈する。

人間の作為のない「そのまま」の在り方が「自然(じねん)」である。

人間も自然の中に含まれ、等しく、共に生かされている存在である。

明治以降、西洋語のネイチャー(natura)の翻訳語として「自然(しぜん)」といわれてきた。

この自然は、人間と対比するものとされ、人間が生活・繁栄するためにあるように使われた。

仏教が説いている「自然(じねん)」は、人間は自然を超えた存在でなく自然の一部である。

その人間、自分たちが、自然を支配しように思い上がって自然を破壊している。

私たち人間は、自然の一部で自然に生かされ、また、私たちが自然を生かす存在でなければならない。

「自然(じねん)」の考えを、今からでも大切にしていきたい。

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