妙延寺とは

妙延寺の成り立ちと今

妙延寺は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です

―立地―

 お寺がある綾川町(旧綾南町)は、香川県のほぼ中心部にあり水と緑豊かな自然に囲まれた地域で“うどんの発祥地”と言われて多くのうどん店が存在します。近年は、新興住宅地として大型のショピングセンターや私鉄駅(琴電綾川駅)・高速IC(府中IC)ができ、香川県内・隣県より交通アクセスの良い場所にあります。

―歴史―

 妙延寺は、今から480余年前(天文年間1532〜55)に池田周防守頼政公に仕え後藩主と別れて讃岐に来た沙門治部卿が現在の綾川町西分に庵をもうけたことに始まります。その後、四国の武将長宗我部軍に庵を焼かれ綾川町常清に移居しました。元禄14年(1701年)本山より寺号・木仏の免許を受け 本願寺門下の寺院として以来 親鸞聖人のみ教えをあおぐ念仏道場として歴代の住職 先達念仏者達が手を携えて今日まで歩んでまいりました。今日の本堂は、寛保二年(1742年)に綾川町常清より現在地 綾川町萱原に建立し、文久三年(1863年)の大修復後現在に至ります。本堂の梁・柱・瓦など至る所に護持に尽力された方々のお名前が残されており、江戸・明治・大正・昭和・平成、そして、現在(令和)と、厳しい風雪や自然災害に遭いながらも後に生まれる人に仏のみ教えをつなぎ手を合わす場所を残していこうとする思いに包まれております。
 お寺は、学僧や子供たちの学ぶ場、地域の方々の集会の場、戦時中の疎開の場として、時代に応じて地域の方々と共に歩んでまいりました。
 現在は、門信徒や地域の方々の聞法の場として共に歩みながら、地域の方々の身近な開かれた集いの場であるように、その時代に即した様々な活動に取り組んでおります。

―浄土真宗とは―

 いまから2500年以上前にお釈迦様によってお説きいただいた仏法は、いついかなる時代にあっても変わることのない、普遍の教え、真実の教えです。
 その仏教は、インド、中国、そして、朝鮮半島を経て、幾多のご苦労の中、私どもの日本に伝来しました。その中でも、お念仏の教えは、インド、中国の高僧方によってお伝えいただきました。
 そのお念仏の教えを日々の生活で悩み苦しむ私たち、苦しみを苦しみとも感じずにいる無明の中の私どもに、お念仏の教えとしてわかりやすくお説きくださったのが、親鸞さまです。
 親鸞さまが私たちにお教え下さった浄土真宗のみ教えは、「阿弥陀さまの本願を信じ、念仏申せば仏となる」というお念仏のみ教えです。そのお念仏のみ教えは、私たち一人一人のかけがえのない人生を活かし、受け止め、生きる大いなる道です。
 忙しい毎日に追われ、目先のことにとらわれて、人生において大切な意味を見失っています。私どもに伝わるまで長い年月受け伝えていただいた浄土真宗のみ教えは、その苦悩の中、何ものにも妨げられることのない、力強い生き方、明るく確かな真に安心して歩んでいける道へと導いてくださる教えなのです。

「はじめまして 浄土真宗本願寺派です」

―住職のご挨拶―

「安心」を提供できるお寺として

妙延寺 第二十四世住職 筑後 眞誠

 妙延寺ホームページにお寄りいただき、誠にありがとございます。
 当山は480年の歴史をもつ浄土真宗本願寺派のお寺です。令和元年に先代住職より住職を継職し第二十四世住職として当山をお預かりさせていただいています。
 昨今、宗教離れ、葬式仏教と言われる中でお寺が縁遠くなり、お寺の意義・在り方が問われています。仏教は約2500年前にお釈迦さまが解かれた教え。その教えは、どんなに時代過ぎようと・社会が変わろうと私たちが心豊かに生活していく上でのみなもととなります。
 自分の人生でありながら、自分の意思とは関係なく起こる出来事(自分の思う通りにいかない)、他人とかかわり合いが弱くなってきている社会の中で、人には言えない「悩み」「苦しみ」を個人で抱えるようになってきていると思われます。仏の教えが、お寺が、その拠り所になります。宗教・仏教に興味がない人も、お寺のやすらぐ雰囲気や行事・活動・に興味がありましたら気軽にお声かけてください。

<お寺の使命>
 「安心」を提供できるお寺として、寺業が人々の心の拠り所になるよう努めます。
 そして、阿弥陀仏の智慧と慈悲の教えによって共に育み、心豊かに生きていく喜びを感じてもらえるよう努めます。